2022/07/19
先週に滞在したプラハでは、二日連続で外務省を訪問しました。その中でも、二日目の訪問は私にとって貴重な機会となりました。
こちらの美しい中庭は、歴史あるチェコ外務省の庁舎の中にあるものです。こちらの上階には、外務大臣が宿泊する部屋があり、ベッドやバスルームがあります。ここはぜひとも、長い時間、一度訪れてみたいと思っていたところでした。
私の博士論文を基にした『戦後国際秩序とイギリス外交』をお読みいただいた方もおられるかもしれませんが、戦後初期の大国間協調の英米仏ソの四大国による外交理事会を通じた協調外交から、冷戦分断の時代に移行する転換点となったのが、1948年3月10日のチェコスロバキアのクーデタでした。
それまで、チェコスロバキアは、親西側の政党と親ソの共産党との連立政権でした。しかしながら、前年から東西対立がより一層構造的、固定的となっていきます。そのような中では、チェコスロバキアでの連立政権の維持はより難しくなり、さらにはソ連政府からの強烈な圧力によりチェコスロバキアは戦後経済復興のための必要とし、求めていたマーシャル・プランによるアメリカからの経済援助の計画に参加することを断念します。(続きを読む)
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